いじめられているときの心理状態

 いじめで自殺してしまう子どものニュースをよく見る。人は、いじめられているとき何を感じているのか? どういう心理状態になっているのか? 大人はどうするべきか?

 私は中学生の時、いじめに近い経験をした。近い、というのは私は暴力は受けておらず、悪口や罵声レベルでニュースなどで見るようなひどいものではなかったからだ。だから、本当にひどいいじめを受けている子と当時の自分の心情とはずれているかもしれない。ただ、1年ほど続いたのもあり苦しかったことは確かなので、今回はその時自分がどう感じていたかを思い出し、(想像も含め)いじめられている子の普遍的な心情、そして、周りの大人はどういう態度を心がけておくべきかを考察する。

・当時の自分の心理状況

 私はまず、嫌なことを言ってくる相手に対して怒りを感じたが、それ以上に自分自身が情けなくて仕方なかった。いじめられている、バカにされている自分が恥ずかしい。自分は情けない目に合うに値する人間なのか、と思い始める。そして、自分が情けない状況にあることを他人に知られたくない。だから誰にも打ち明けられない。家族にも言えない。むしろ家族だからこそ言えなかったかもしれない。つらいことは確かだが、それを告白することに恥ずかしさが伴う。

 さらに、自分はダメな人間として運命づけられているのではないか、という疑念がわいてくる。ダメな人間として運命づけられているとしたらそれはとんでもない事だ。もしそうなら、自分は今後何をやってもうまくいかないのではないか、と思った。いじめている人は、相手の自尊心を奪っていると聞いたことがあるが、まったくその通りで自分は何に対しても自信を相当喪失した。

・なぜ、助けを求めない? → 求められない

 いじめで自殺する小中高生のニュースを見て、自殺するくらい思い悩んでいたなら、なぜ周りの大人に相談しなかったのだろうと疑問に思う人がいるかもしれないが、相談できなかった気持ちがわかる気がする。恥ずかしさ、情けなさを感じているので、他人に告白するのには勇気がいる。また、自分の抱えている悩みが深刻であればあるほど相談相手は選ぶものだ。いじめられていた子本人にとって信頼できると思える大人が先生含め周りにいなかったのではないか、と思う。

 たまたま図書館で手に取った本に、当時の自分の心情がほぼそのまま表現されている部分があったので引用する。

 教師や親は、何とかいじめを早期発見するために、子どもからの訴えを重視している。しかし実際には、被害者には訴えない、あるいは訴えられない心理が働くと考えたほうがよい。とくに思春期・青年期の子どもにとって、訴えない最大の理由として、自尊心(自己受容)の低下があげられる。みんなからいじめられているうち、「自分に何か欠点があるのではないか」と自責の念にさいなまれ、自分が悪いんだと思い込んでいく。あるいは、いじめられている自分がどうしようもなくみじめで、自己嫌悪感に陥り自分を消したいと思う。思春期・青年期が自己らしさを受け入れることによって、アイデンティティ(自己)を形成していく発達段階にあることを考えると、自分に対する自信や価値が形成されていない状態で、いじめ(集団によるネガティブな評価)を受けたときの、自己へのダメージの大きさと急激な自尊心の低下は想像以上である。また自分がいじめられているということを、まわりの大人(教師・親)に公表することも、自己の自尊心の低下につながる。いじめられるような人間であるとまわりからみられたくないといった自己防衛の気持ちも働くであろうし、他人からそうみられることによってますます自己嫌悪に陥るであろう。また、殴られたり辱めを受けている惨めな自分を、たとえ親であってもさらしたくないというプライドも存在するであろう。*1

また、こうも書いてある。

もう一点、訴えない理由として見逃せないのが、人間に対する不信感である。*2

自分がつらい状況にあるのに、誰も助けてくれない、つらさを分かってもらえないことによって他者に対する不信感が強まり、一人で抱え込むことになっていくのではないか。

 

 栃木県の小学校で、いじめを受けていた子が助けを求めて書いた文章を、教師がそのまま教室に張り出すという出来事があった。これはとんでもないことだ。相当なショックを受けたのではないか。上記のように告白すること自体に強い抵抗があっただろうから、相当勇気を出して訴え出たのだろうと思う。この先生のような大人しか周りにいないと思える状況なら、苦しみを告白できず一人で抱え込むことになってしまい、一層悪い方向へいってしまうだろう。

・まとめ

 まず、いじめにあっているとき、いじめられていることに恥ずかしさを感じており、だからこそ人に告白して助けを求めることを躊躇することは多いのではないかと、私は思う。このような子どもの心理状態を理解し、大人は慎重に子どもに寄り添うことが必要だろう。また、大人は日頃から、いざというときは味方になるという姿勢を見せて信頼感を得ることが大切だろう。

 ただ、学校の先生が忙しすぎて、生徒たちをしっかり観察して一人ひとりに目を向けいじめを発見し、対処する余裕がないということもあるかもしれない。このような問題があるなら、それを解決するために先生を非難するだけでなく社会全体で考えていくべきだ。先生たちの労働時間を短くしたり、負担を軽くしていくことがまず大切であり、それが結局子供たちのためにもなるだろう。

 

今回は、子供のいじめを訴えられない心理などが、もしかしたら多くの人に見落とされているのではないかと個人的に考えていたのでこの記事を書いた。(ただ、私は心理学などの専門知識がないのでおかしなことを書いていたらごめんなさい。)

引用した本は、いじめや不登校の問題を考えるにあたって知っておくべき事が事例に沿ってたくさん書かれていておすすめです。

 

 

参考文献

田上不二夫編著『スクールカウンセラー事例ファイル1 いじめ、不登校』(福村出版 1998)

https://www.asahi.com/articles/ASMD46V8RMD4UUHB01N.html

 

 

 

 

*1:田上不二夫編著、1998 15,16頁

*2:同 16頁