ニートへ① ニートは無力だ 

 今回はニートが心にとどめておいた方が良いことについて考えてみた。今回の記事は、自分自身の反省、自戒のために書いた。(もちろん病気や家族の介護で働けない人、資格の勉強をしている人などは除き、そのような事情のない私のような人間が自覚しておかなければならないことについて気づいたことを書いた。)

 

ニートは人助けをすることが難しい

 ニートでいる中でたびたび感じる苦しみは自分は本当に無力であると自覚させられることだ。というのも、無職だと社会的な立場が非常に低いし、将来への不安感が常につきまとう。だから苦しい。そして、自分が苦しい状況にあるからこそ世の中の弱者の人たちに対して同情する気持ちが出てくる。たとえば、ニュースでいろいろな事件を見て、社会的に孤立していて追いつめられ犯罪をしてしまった人、いじめで自殺してしまった子どもたちなどに対して「気持ちがわかる」とか「助けてあげないといけない」と思うことがよくある。しかし、実際そういう苦しんでいる人たちを助ける力が自分にあるのか、というとまったく無いのだ。この点がつらい。

 

 また、次のような問題もある。上記のように自分は弱者の苦しみに対して敏感になっている、弱者に共感している、と感じてきたのだが、最近これは本当に共感、同情だけなのだろうか?と思い始めた。

 というのも、ルサンチマンという部分もあるのではないか?と思ったのだ。つまり、エリートや金持ちに対する嫉妬、憎悪を弱者への共感だとゆがんだとらえ方をしてしまっているふしもあるような気がするのだ。実際私は、彼ら社会的成功者に対し、「運がよかっただけだろ」とか「自分たちだけいい思いをしているのでは」とか「下層にいる人間に目を向けてくれよ」と腹立たしい気持ちになるというように被害妄想ともいえる感情を抱いてしまうことも多々ある。このような成功者への憎悪を弱者への深い共感能力と取り違えている面もあるかもしれない。

 

・「弱者の苦しみに敏感である(かもしれない)が人を救えないニート」と真逆の存在、「シンドラー」

 弱者に共感しているからといって、彼らを実際に助ける力は持っていないという問題についてさらに考えてみる。

 『シンドラーのリスト』という映画を見た。実業家オスカー・シンドラーは大勢のユダヤ人を救ったことで有名だ。ただ、シンドラーユダヤ人を救うことに初めから熱心であったわけではない。ナチスの党員だったし、基本的には自分の事業を成功させ富と名声を得ることしか考えていなかった。彼は工場を持っていて、労働者としてユダヤ人をたくさん雇っていたが、それはポーランド人よりも安く雇えるからであって正義感からではない。しかし、結果的にユダヤ人たちは雇用されているという証明書を持っていることで強制収容所に送られることを免れた。そして、迫害され、残虐な扱いを受けるユダヤ人たちを目の当たりにしてシンドラーは徐々に心が動いていき、最後には自分の工場の労働者として多くのユダヤ人の名前をリストに入れていき、彼らが収容所へ送られるのを阻止した。

 シンドラーは基本金儲けのことしか考えていなかった。でも彼は権力を持っていた。だから人を救うことができた。ひとたび「助けたい」と思ったときにそれを実行できたのだ。 お金儲けの追求と人助けの実現は矛盾しないのだ。

 

 お金は権力だ。お金があればひとたび憐みの感情を持てばすぐに人助けを実現できる。だがニートはどうか。場合によっては利他心を持ち続けることができている人間もいるだろうが現実に人助けを実現できるかというと難しいだろう。

 当然、1100人以上の人を助けたというシンドラーの話は極端な例だし、戦時下という特殊な状況でもあった。しかし、一般的にも会社の経営者は雇用を生み出せるし、お金があれば苦しむ人に何かしらの支援ができることは確かだろう。無職である人間もお金を稼ぐことだけを考えて仕事につき、まずは親、家族を助けないといけない。そういう意識を持っていることも大事かもしれない。

ニートは無力だということを自覚しないといけないのだ。

 

ニートでいることの不利益

 世の中のこと、社会常識が分からない、人目が気になる、どこにも行けない、結婚できない、、、。このように、無職でいることの不利益は挙げ出すときりがない。その中でも今回特に注目するのは、下の世代の子たちに良い影響を与えられない、という不利益だ。ニートだと、自分の就いている仕事に関する情報提供もできないし、「こうしたらうまくいくよ」という働くうえでの一般的なアドバイスなどもできない。そして、年下の子、子どもたちの手本にならない。そうなるとまた自分の周りで自分のような人間が生まれてしまいかねない。やはり働くべきなのは間違いない。

 

・まとめ

 ニートは自立できていない。なので他人を援助することはなおさら難しい。人を助けたいと思ってもその力がない、無力な存在であることをまず自覚すべきだ。

また、お金を稼ぐことばかり考えるのはなんとなく卑しいとか思いがちだが、まちがいなくお金があることでちゃんと人の役に立てるのだ。現状、利益ばかりを追求しているとしても、人を救える可能性が非常に低いニートでいるよりましだということだ。また、下の世代の子たちの将来を考えても、自分が働いている方が良いと言える。

 

 当たり前のことでわざわざ言うことでもないかもしれないので、正直今回書いたことはくだらない。「じゃあ早く働けよ」という話なので。ただ、自戒のために以上のことを頭に入れこれから就活をしていきたいと思った。