なぜ将来の夢や目標、やりたいことが見つからないのか?

・将来の夢や目標、やりたいことがみつからない理由

 私は今まで、将来の夢をもったことがない。将来の夢(特に将来就きたい仕事)を聞かれても答えられないということがよくあり、それに引け目を感じてきた。夢や目標がないと、ダメなやつ、何も考えていないどうしようもないやつだと思われがちだ。一方、中学生や高校生くらいの早い段階で将来のやりたいことが決まっている人間はいる。目標があれば、その実現に向けて努力しようという気になるので、やりたいことが早くから決まっていることは、当然良いことだ。

 

 早くから将来の夢が見つかる人間とそうでない人間の違いは何か? 夢や目標が見つかってこなかった責任は自分自身だけにあるのか?と、私は疑問に思ってきた。そこで、将来の夢が見つかりやすい場合を考えることで考察してみた。

(といっても私はとっくに成人しているし、今更将来の夢がどうとか言ってられない。ただ、将来何をしたらいいか全くわからず、そして、目標に向かって努力することをしてこなかった自分はひたすら責められるべきなのか。少しは言い訳させてほしいと思ったのでこの記事を書くことにした。)

 

次に挙げたのは、私が考える、将来の夢や目標が見つかりやすい場合の大まかな類型とその例だ。

・将来の夢・目標が見つかりやすい場合のパターンと具体例

(よく目にする「成功者」が語る経歴などが書かれた記事やインタビューをもとにして大体のパターンを考えてみた)

①際立った才能がある

 例:頭が良い(理解力が高い、記憶力が良い) →研究者になりたい

   運動神経が良い     →スポーツ選手になりたい

   絵を描くのが得意    →画家になりたい

②家業を継ぐ

 例:家が自営業をやっている   →その家業を継ぎたい

   代々芸能や職人の家系である →その家業を継ぎたい

③身近に「こういう大人になりたい」と思える人がいた

 例:母親が看護師 → 看護師になりたい

④夢や目標が見つかるきっかけとなる事件に遭遇した

 例:子供のころ、重い病気にかかって医者に世話になった 

    →医者になりたい

   刑事事件に巻き込まれた  →法律家になりたい

   学生時代に尊敬する先生に出会って世話になった 

    →教師になりたい

   何かしらのボランティアに参加した 

    →そのボランティアに関係する職に就きたい

⑤(①~④のいずれか、または複数あてはまった上で)短絡的な気質の人間であること

 

・①について

 優れた才能を持っているため、必然的に将来の目標が決まる人間は(少数だろうが)いる。こういう人は本当にうらやましい。(何かをすることがとても好きだ、というのも①に含む。)

・②について

 特別何か家業をやっている家に生まれて、それを継ぐ、というパターンだ。特に深く悩まず、家の仕事を継ぐことを選んで、満足した生活ができている人はうらやましい。

・③について

 親などの家族、親族、その他身近にいた人が、かっこいいとか尊敬できる大人で、同じようになりたい、あるいはその人が働いているところを見たり、仕事の話を聞いて、その仕事に興味を持ち同じ職に就きたいと思うようになるパターンだ。そういう大人が身近にいるから、その仕事が具体的にどういうものなのか知ることができたり自分がその職に就いて働く想像ができるとか、この仕事に就きたいならこうしたらよいとアドバイスをもらうことができるなどということから、やりたいことが決まる人も結構いるだろう。

・④について

 人生の中で、尊敬する大人に出会ったり、特別な出来事に直面して、やりたいことが見つかるという場合である。(④は③と重なる部分がある。)

・⑤について

 さらに①~④に加え重要なのが、自分はその仕事に恐らく向いているとか、将来その仕事をすべきだと思い込める短絡さをもっていることだ。才能を持っていたり、ある家業をやっている家に生まれたとしても、「自分は本当にこの道を選んでやっていけるのか」「家の仕事は継ぎたくない」などと悩むことはあるだろう。このような葛藤にはまってしまわないような単純さを(その人の気質として)もっていることは、目標を早く決められるかという観点からは望ましいことだ。

 

 →ここでわかるのは、①~⑤はすべて偶然によって左右されるということだ。自分が夢や目標が見つかりやすい境遇にいるかどうかは運で決まってしまうのだ。

 ただ、④に注目するとボランティアの例のように、自分から行動を起こして、夢を見つけられる余地はあると分かる。

 

 私は不運にも①~⑤のどれにも当てはまらない。つまり、何の才能もなく、家が特別な家業をやっているわけでもなく、身近にこうなりたいという人もいなく、特別な事件に遭遇してこなかった。さらに、良い意味でのある種の短絡さも持ち合わせていない人間として生まれてきてしまった。だから、自分が夢や目標を見つけられなかったのはある程度仕方ないと言えるのではないか。

 

まとめ

 夢や目標が早いうちから決まっている人間はポジティブな印象を与え(かつ、それは当然望ましいことだ)、決まっていない人間はネガティブな印象を与える。しかし、①~⑤とその考察からわかるように、夢や目標は偶然による、恵まれた条件(環境)下で見つかりやすくなるのだ。夢や目標を持てるかどうかは偶然に強く依存するというのが今回の私の主張であり、私(無職)の言いわけだ。

 

 ただ、夢や目標は早く見つかった方がいいので、見つかっていない中高生や大学生などにアドバイスするとしたら、④に関連して多少の努力をするしかないということだ。つまり、夢や目標が見つかるきっかけとなるような出来事に遭遇するため、あるいは、いろいろな大人に出会うため、自ら行動してみるしかない。(自分もそうすべきだった)

このことを考えると、冒頭で書いた「夢や目標が見つかってこなかった責任は自分自身だけにあるのか」ということについては自分に責任が全くないわけでもないといえる。

 ただ行動を起こしてもダメだということもあるだろう。やはり偶然に左右されるという側面が大きいと思う。

 自分のような人間も少なからず存在し、そういう人は生活のため、別に積極的にやりたいとも思えない職についているのだろう。自分もいずれそうやって何とか仕事を見つけなければならない。また、職に就いたのち、事後的に「この仕事は楽しい、やりがいがある」「この仕事は自分のやりたいことだ」とわかったり、「何か別の仕事をやりたい」という夢が見つかることもあるのだろう。